研修医2年目。
今日も生きている。
だから記録を残す。
全財産は妻へ。
死亡保険は掛けておこう。
相続税の心配はいらない。
同期とは、誰一人欠けずに卒業したい。
最近の願いは、それだけになった。
同期は恐れている。
訴訟。
懲役。
実名報道。
そして、翌月の当直表。
「一人であの人数は無理。」
「自分の判断に自信がない。」
「いつか取り返しのつかないことをする気がする。」
弱音ではない。
申し送りである。
毎日怯え、毎日学び、毎日寿命を削る。
自己犠牲で人を助ける。
生活スタイルはアンパンマンだ。
ある日、一人の患者が亡くなった。
主治医はベテランの専門医だった。
家族の前で、何度も頭を下げていた。
「申し訳ありませんでした。」
「当時の私では気付きませんでした。」
何度も。
何度も。
その姿を見て思った。
この人でも、防げなかったのか。
治療には合併症がある。
亡くなる人もいる。
それでも医療を続ける。
社会全体で見れば、救われる命の方が多いからだ。
同期が言う。
「救ってきた命は数え切れない。」
「ここで辞めたら、その先で救える命まで失う。」
慰めなのか。
呪いなのか。
区別がつかない。
志が折れた同期は美容へ行った。
逃げた、という人もいる。
生き残った、という人もいる。
私は、どちらとも言えなかった。
2026年。一つのニュースが全国を駆け巡った。
「医師がCT検査でくも膜下出血を認識できず、患者は別病院で緊急手術。」
SNSは燃えた。
「無能。」
「ヤブ医者。」
「医師免許を剝奪しろ。」
「専門外は言い訳にならない。」
医療従事者まで石を投げ始めた。
「転送すべきだった。」
「出血くらい私でも分かる。」
「髄液検査をするべきだった。」
SNSなら誰でも名医になれる。
声が大きい人ほど、救急外来にはいない。
現場を知っている人ほど、静かだった。
研修医の立場で言うのは、おこがましい。
それでも言わせてほしい。
私は、この医師を責められない。
この医師を責められる人は、
次の当直で、
同じ画像を、
同じ状況で、
100回中100回診断できる人だけだ。
私には無理だ。
そもそも、くも膜下出血は難しい。
国家試験に出るような典型例なら、医学生でも分かる。
真っ白な血液が、教科書どおりに写っている。
あれは優しい世界だ。
現実は違う。
溝にうっすらと白い線が一本。
「見える」と言われれば見える。
「気のせい」と言われれば、そう見える。
そんなCTはいくらでもある。
貧血。
体動。
アーチファクト。
時間経過。
一つ条件が変わるだけで、正解は簡単に隠れる。
「血眼になって探さないと分からないくも膜下出血。」
現場には、そんな画像が山ほどある。
一般に、発症6時間以内のCTで、くも膜下出血を除外できる感度は98.7%。
ただし、条件がある。
「放射線科医や脳神経外科医が読影した場合に限る。」
つまり、専門医でも100%ではない。
数字にすれば、100人診れば1人以上見逃す。
非専門医であれば難易度はさらに上がる。
医学は、0か100では動いていない。
訴訟大国アメリカ。
482人のくも膜下出血患者を調べた研究がある。
初診時に診断されなかった割合。
12%。
約10人に1人。
最初は診断がつかない 。
教科書には載っていない現実である。
SNSでは、典型例の画像だけが流れてくる。
「こんなの見逃すはずがない。」
そう書き込まれる。
もちろんだ。
教科書は、教えるために作られている。
現場は、試すために存在している。
今回の現場で何が起きていたのか。
本当のことは、現場にいた人間しか知らない。
結果だけが全国に配信された。
その医師は、休日も24時間働いていた。
地方の限られた医療資源の中で。
専門外も診る。
子どもも診る。
高齢者も診る。
外傷も診る。
精神科も来る。
もちろん脳神経外科専門医ではない。
それでも診る。
救急車は、専門医を選んで運んではくれない。
全科当直は制度ではない。
善意である。
善意は便利だ。
足りない医師も、
足りない専門医も、
足りない予算も、
全部、善意で埋められる。
国民の多くはそれを知らない。
便利すぎて、誰も制度を直そうとしない。
「専門外なら診るな。」
簡単だ。
明日からそうしよう。
頭痛は脳外へ。
腹痛は外科へ。
胸痛は循環器へ。
小児は小児科へ。
精神科は精神科へ。
専門医がいなければ、お帰りいただく。
きっと安全な医療になる。
病院の中だけは。
週に一回も当直をしていない人ほど、
「転送すべきだった。」
「出血くらい私でも分かる。」
「髄液検査をするべきだった。」
と言う。
現場にいる人ほど、何も言わない。言えない。
自分にも、いつ起きるか分からない。
医療は不思議だ。
成功した一万人は忘れられる。
失敗した一人だけが歴史に残る。
99%救う医師と、100%責任を負わせる社会。
計算が合わない。
99%救えて、1%見逃す。
その1%を責めたとき、今後の99%が見殺しになる。
医療崩壊とは、病院が潰れることではない。
善意が絶えることである。
今回の一件を責め続ければ、全科当直は終わる。
皆、不幸になる。
では、現場の医師に出来ることは何か。
研修医1人当直を行っている社畜医なりの答えがある。
同じ症状で二回来たら、原則入院。
研修医は、迷ったらオーバートリアージ。
帰宅させるなら、翌日の専門外来を必ず受診させる。
そして、一番大事なのは患者説明。
知識ではない。
護身術である。
自分も守らなければならない。
不思議なことがある。
研修医一人当直。
ニュースになれば、全国が驚くと思う。
でも、ならない。
事故が起こらなかったからではない。
死人に口なしか、自分でも分からない。
なれば、田舎の医療はさらに崩壊する。
今日も、どこかで研修医が一人、専門外の患者を診ている。
知らない病気を調べながら。
出来るものならやりたくない。
でも、誰かがやらなければならない。
現場は、毎日、綱渡りをしている。
その綱は、医療制度ではなく、誰かの善意でできている。
今回の事件は、患者が元の生活へ戻れた。
それだけが救いだった。
本当に良かった。
心からそう思う。
誤診を肯定しているわけではない。
見逃しを肯定しているわけでもない。
ただ、匿名で石を投げる前に、一度だけ想像してほしい。
その医師が当直に入った日の、救急外来の空気を。
そして、目の前には、「ただの頭痛かもしれない患者」が座っている。
あなたは、帰すだろうか。
誰も、未来は見えない。
そんな環境で、今日も後輩と救急外来を回す。
また誰かを診る。
また誰かを帰す。
その判断が正しかったのか分かる頃には、私はもう、次の当直に入っている。
だから今日も祈る。
同期が、誰一人欠けずに卒業できますように。
社畜医、今日も生存。

