※本記事は複数の経験をもとに再構成したフィクションであり、実在の個人・団体・事象とは一切関係ありません。
研修医1年目。
今日も死ななかった。
それだけで合格点である。
今日も患者は何人か助かり、医師は何人か壊れた。
収支は、おそらく黒字だ。
自分が生きた記録を残しておこうと思う。
全財産は妻に譲ることにした。
遺書ではない。
ただの雑務日誌である。
日本は腐っている。
医療職に限った話ではない。
深夜、警察と対峙する異常死。
深夜、サーバーを叩き起こすエンジニア。
休日、部活に拘束される教員。
24時間、光り続けるコンビニ。
社会は優しい顔をして、眠らない。
誰かの寿命で回っている。
労働基準法という概念があるらしい。
都市伝説に近い。
いつかはそれが適用される世界線で、一度だけ働いてみたい。
同期の魂が抜けかけている。
「俺、30連勤だよ。」
彼はカルテを書きながらそう言った。
書いているのは患者の経過なのか、自分の遺書なのか。
判断はつかない。
「俺、何日家に帰ってないのか、もう分からない。」
「俺、月1の休日でも病棟とICUから連絡が絶えない。」
「俺、日勤して、当直して、日勤して、深夜から1人で20時間麻酔かけた。」
声を出すのがやっとのようだ。
それでも、人間は思ったより壊れない。
もう少し大切に扱えば、もっと長持ちするのに。
そんな中、「つながらない権利」が話題らしい。
休日や業務時間外の連絡を拒否できる権利。
応じなくても不利益を受けない権利。
美しい。
芸術的ですらある。
ただし、医療には実装されていない。
バグではない。仕様である。
インフラを構築するような職業とは相容れない。
当院は週8勤務。
固定残業代の悪魔と契約し、土日に休みはない。
有給という制度は存在する。
ただし、在庫切れである。
「え、有給?うちの科は有給とれないよ。」
法律はある。
適用されないだけだ。
以前、奇跡的に有給をとれたことがある。
家族との時間を確保するためだ。
その日の15時、通知が来た。
「ごめん、助けてくれない?」
同期からだった。
緊急手術で全身麻酔の依頼が同期に来た。
しかし、人生初の一人麻酔らしい。
上級医はいない。研修医2年目もいない。
日勤にも関わらず麻酔科医は他の手術で手一杯だった。
少し考えて、病院に向かった。
麻酔の導入と維持を行い同期へ引き継いだ。
帰ろうとした瞬間、常勤医から連絡がきた。
「新規入院が多くて、人手が足りない。」
なるほど。
「今すぐ行きます。」
気が付けば夜だった。
有給はよく働いた。
来年も頑張ってほしい。
医療は制度で回っていない。
責任感で回っている。
その責任感を法律で規制することはできない。
つながらない権利があったとしても、その権利を使うかどうかは医師次第である。
主治医レベルになるとさらに悪化する。
なぜか、社畜医の周りには休日でも連絡がほしい人間が多数派だ。
むしろ来ないと不安になる。
これは習慣であり信仰である。
だから、この法律は機能しない。
しかしながら、心休まらない責任無限大タイムが永遠に続くのは時代にそぐわないのも事実である。
M3でのデータが興味深い。
約3割が緊急性は無い。
病棟から「緊急性はないと思うんですけど、念のため…」と連絡が来る。
看護師も大変なのは分かっている。
何かあった時に責任が取れないので仕方ない。
何かあって報告していなければインシデントになるからだ。
ただ、誰も休めない。全員消耗する。
「完全オフ」は都市伝説。
休日とは正確には「待機状態の休日」である。
手当は出ない。
社畜医の来月の予定。
25日間がオンコール。
4日間が当直。
休日は1日。
診療科によるだろうが。
病院から15分以内の行動制限がかかる。
風呂にもスマホを持ち込む。着信音は心拍数を上げる装置だ。
同期が60時間連続勤務で倒れた。
点滴をして3時間後に復帰した。
医学は進歩している。
人間の扱いは進歩していない。
こういう意見もある。
「自己犠牲は必要だ。」
「嫌なら医師を辞めろ。」
「主治医になるな。」
さらには。
「これに堪えられないのなら、この世界から足を洗った方がよいのではないでしょうか。」
なるほど。
正論である。
正論をいう人間は、たいてい安全な場所にいる。
結論はシンプルだ。
つながらない権利は、実現しない。
ならば、つながることに対価を。
もしくは完全チーム制へ。
できない理由も分かっている。
医師は足りない。お金もない。
精神論だけが値上がりを続けている。
現段階ではつながらない権利は施行できない。
ノブレス・オブリージュ。
できる者がやるべきだという思想だ。
好きな考え方であり、社畜医の行動原理の1つだ。
同時に、危険な考え方でもあり、他者への強要は禁物である。
できる人間は無限に使われる。
「責任感」で回る社会は、いずれ責任感がある人間から壊れていく。
医療は崇高ではない。
責任感で成り立つブラック労働である。
それでも、同期と助け合って今日も生きた。
社畜医、今日も生存。
それだけで、十分だ。

