※本記事は複数の経験をもとに再構成したフィクションであり、実在の個人・団体・事象とは一切関係ありません。
研修医2年目。
1年、生き延びた。
記録を残す。
意味は無い。
全財産は妻へ。
遺書ではない。
ただの雑務日誌だ。
この病院では数年ぶりに、同期が誰一人欠けることなく1年を終えた。
様々な修羅場を乗り越え、恐怖と戦い、寿命が縮んだ1年だったが、確かに実りはあった。
そして、研修医1年目の後輩も入ってきた。
「後輩にはあんな怖い思いはさせたくない。」
社畜医は意気込んでいた。
この時点では、まだ。
ある日、社畜医は2人の研修医の指導係に任命された。
1か月、運命を共にする2人である。
デキレジ君。仕事ができるレジデント。
ヤバレジ君。仕事ができない、ヤバいレジデント。
デキレジ君は初日から掴みが上手だった。
「社畜医先生、一番手技が上手だとお聞きしました。」
「いろんな手技を一緒にやりたいです。」
「まずは採血から教えてくれませんか。」
お世辞でも悪い気はしない。
人間は単純にできている。
ヤバレジ君もやる気満々といった様子。
毎日7時から病棟で採血練習を始めた。
初日は問題無く終わった。
翌日、1人来なかった。
連絡もない。
院内にもいない。
1時間後、電話が来た。
「あ~、採血終わりました?休んでていいっすか?」
挨拶しない。
名乗らない。
謝罪しない。
休みの打診。
連絡が来ただけ、まだマシだった。
世の中を見れば、来ない人間はもっといる。
ハードルは地面に埋めた。
気持ちを切り替えてレジデントを連れて回診に回った。
社畜医は毎日就業時間の前に30~40人の担当患者を回診してカルテを書く日常を送っている。
利点はいくつかあるが、シンプルに言うと「1日の主導権を握れる」ことである。
「採血データや画像検査より先に患者の全身状態が改善する。」
「体調、困っていること、睡眠、食事、排便は確認しよう。」
などなど、様々なことを教えながら回診した。
回診後、デキレジ君は社畜医のカルテを参考にしながら、自分の言葉でSOAPを書いた。
ヤバレジ君は言った。
「先生がもう書いてますよね?無駄じゃないすか?」
説明はした。
意味も伝えた。
伝わらなかった。
書かないと身につかないので書きながらまずは型を覚えるべきである。
守破離の守から始めるのだ。そう伝えると、続けた。
「別に出来るんで先生書かないで良いっすよ。」
高い自己評価。
現実の評価と異なる。
出来ると思っている人間が、一番危ない。
翌日、社畜医はカルテを記載せずに見守った。
そして、確認した。
3人。
20人中記載があるのは3人のみ。
しかも、看護記録の写経2行だけ。
SOAPの「O」のみのコピペである。
そもそも回診すらしていなかった。
言われたことが出来ない。
この世界は、言われていないことまで求められるのに。
診療情報提供書(紹介状)の書き方を教え、やってみようと伝えた。
「いや、いいっす。自分で出来ます。後でやっておくんで。」
そういって社畜医の作った紹介状の写真を撮っていた。
コピペの予感がした。
謎に高い自己評価。
現実とは別次元にある。
そんなヤバレジ君から「確認お願いします。」と連絡が来た。
患者はADL自立、かかりつけ医に逆紹介する紹介状の予定だった。
件名を見た。
「終末期のサポートのお願い。」
ADL自立で社会生活に復帰する予定の患者に在宅お看取り前提の紹介状を書いていた。
ヤバレジ君に確認すると社畜医の他の患者の紹介状を何も考えずにコピペしたとのことだった。
予想は当たった。勝負に勝って試合に負けた。
思考を放棄している。
問題は能力だけではない。
自覚が無い事だ。
能力は足りないが、自信は十分だった。
この組み合わせが、一番たちが悪い。
綺麗に修正して教えたが、この時点で予後不良の予感が確信に変わった。
もう手遅れだ。
一緒に回診に行けない日は「回診行ってきてね。」と伝えた。
昼になっても帰ってこない。
病棟は迷宮か。
捜索願を出すか。
電話すると「まだ回診中です。」とのこと。
3時間。まだ回診中らしい。
就業時間中に医局で朝食。
10時過ぎに食堂でランチタイム。
その後、医局でゆったりしている姿が目撃されている。
彼は存在はしている。病棟ではない。
患者も存在している。病棟で。
両者は一度も出会っていない。
定期処方の話をしておく。
当院では毎週木曜日が締め切りで土曜日からの1週間分の処方をオーダーする。
出していないと看護師さんが1つ1つ連絡をくれる。
つまり、遅いと忙しい看護師さんの仕事を増やしてしまうのだ。
社畜医は「定期処方を忘れる医者は人権がない」と自分の心に刻んでいる。
毎週アラームを設定し、後輩にも丁寧に教えた。
前日、当日にリマインドをした。


これで安泰。
そして、定期処方の日が来た。
約束の時間に確認した。
デキレジ君、全員分完了。
ヤバレジ君、0人。
理由を聞いた。
「薬が分かんなかったんで、やってません。」
分からない。
調べない。
やらない。
助けを呼ばない。
ただ、医師免許は持っている。
「処方の仕方は分かるんですけど、薬の作用は覚えてないし、本当に処方して良いか分からなかったから放置しました。」
「不安であれば一緒にやる」と言ったが、放置。
分からなかったら調べるのが「普通」だと思っていた。
普通が通じない世界は沢山ある。社畜医の教え方が悪かったんだ。
ハードルをさらに地中の奥深くに押し込んだ。
この時はまだ、あんな悲惨な事件に発展するなんて思いもよらなかった。
患者家族へIC(インフォームドコンセント)するタイミングがあった。
社畜医のICを何度も見ているヤバレジ君は言った。
「出来ます。」
自信満々で言った。
さすがに心配だったので、リハーサルを行った。
ここで自己評価を正しておかなければ。
電話をかけた。
「あ~、え~っ…あの~…」
謎の沈黙。
数秒続く。
判断するのに十分だった。
この1か月だけで独り立ちすると思うと心配で仕方がなかった。
IC記事のテンプレートを教えると、「もっと楽する方法無いんすか?」と返ってきた。
長期的に楽する方法は、今の努力の上にある。
伝えた。
伝わらなかった。
また周りの医師やメディカルスタッフへのリスペクトが無かった。
ある日、ヤバレジ君と当直した医師からクレームが来た。
「水飲み休憩してきて良いっすか?って言われたから許可出したけど、救急外来に患者がいるのにずっと戻ってこない。どんな教育してるんだ。」
目上の人に仕事を押し付けて休む。
強靭なメンタル。
ある意味、才能だ。
医療には向いていないが。
教育は万能ではない。
教育が万能であれば社会問題の大半は解決する。
そもそも、もはや教育の問題ではない。
さらに、ヤバレジ君は言った。
「VEがあるのにSTの存在意義って無くないっすか。」
VE(嚥下内視鏡検査) があればST(言語聴覚士)は不要という理論らしい。
必要だった。
彼以外、全員にとって。
看護師、OT、PT、STなどのメディカルスタッフに対してリスペクトに欠ける発言が続いた。
社畜医以外にも周りの医師からは再三伝えられた。
時間厳守。
間違った場合は謝罪。
最低限の仕事はしないといけない。
本人には響いていなかった。
結局、ヤバレジ君を一人にするとほとんど仕事をしなかった。
「当直明けで疲れたんで休みます。」と言って消えた。
まだ、彼がやるはずの仕事が沢山残っている。周囲がカバーし続けた。
この時は、まだ患者は死んでいない。
でも、条件は揃っていた。
自信と能力は比例しない。
謝らない人間は改善しない。
働かない人間の分は、誰かが働く。
それだけは確かだった。
社畜医、今日も生存。
患者も生存している。
今は。
次回へ続く。

