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【配慮の限界】優しさで人は救えない。ヤバレジと医療事故。【社畜医生存日記10】

【配慮の限界】優しさで人は救えない。ヤバレジと医療事故。【社畜医生存日記10】

※本記事は複数の経験をもとに再構成したフィクションであり、実在の個人・団体・事象とは一切関係ありません。

※非常にデリケートな話題であり、当事者や近親に当事者がいる人、その人の生い立ちや年齢、性別、人生観、死生観などによって受け止め方は多種多様になると思われます。特定の疾患や当事者などを誹謗中傷したい訳ではないという事を先述しておきます。

前回の続き。

噂は、広がる。

雑。

遅い。

通じない。

空気が読めない。

診断名は、まだ無い。

だが、扱いは決まっていた。

コミュニケーションがとれない。

1つにこだわりだすと他に手が回らない。

2週間で判断した。

無理だ。

このままでは臨床研修を終えられない。

臨床研修委員会に議題を上げた。

診療科部長、中堅医師2名、社畜医の4人で話し合い、病院に報告書を提出した。

結論はシンプルだった。

「発達障害の可能性がある。」

「本人のキャパの問題で出来ないのは仕方がない。」

「今後は負担を減らし、周りがカバーするように。」

「配慮」という言葉が使われていた。

便利な言葉だ。

誰も責任を取らなくて済む言葉でもある。

精神科医は言った。

「たぶんそうだよ。希望あれば受診で。」

診断はまだない。

確定もしていない。

それでも、扱いは決まった。

ラベルは診断より早く貼られた。

我々が彼の分まで仕事を肩代わりするらしい。

寿命の使い道としては、なかなか斬新である。

負担を減らす。

仕事を減らす。

責任を軽くする。

ただし、報酬は同じ。

その分、誰かの負担は増える。

成長は止まる。

それでも配慮だった。

残りの2週間サポートをした。

正確には、代わりにやった。

そして無事に彼は次の診療科へ旅立った。

問題と一緒に。

手術室。

他人の手技を奪う。

麻酔途中で持ち場を離れる。

戻らない。

別の日。

麻酔中に女性の顔を故意に触る。

医学的な妥当性は無い。

「顔ツンツン事件」はすぐに広まった。

患者本人だけが知らなかった。

なぜか社畜医に連絡がきた。

健常歯だった。

社畜医は100件挿管して、まだ歯を折ったことがない。

運が良かっただけかもしれない。

それでも、同じ素人である。

力の問題か。

理解の問題か。

他の研修医は皆出来ている。

急性期病院で出来なければ人権は無いに等しい。

社畜医の弟子と広まっているのは仕方がない。

その責任を取らされるであろう麻酔科上級医が、心底気の毒だった。

救急外来でも、ヤバレジ君はヤバレジ君だった。

アセスメントが通じない。

コンサルトも、もちろん通じない。

コンサルトを受けた専門医は言った。

「2年目に代われ。」

能力はない。

自信は過剰にある。

信頼は失われていく。

任される機会はどんどん減る。

これが優しさの結末だった。

ある日、病棟からヤバレジ君に連絡が入った。

非感染症患者の熱発だった。

ヤバレジ君は診察もせずに言った。

「経過観察で。」

翌日、悪化した。

当然だった。

尻拭いするのは、他の医師である。

全て相談せず独断で行っている。

そもそも、分からないという自覚が無いならば相談という選択肢は無い。

別の日。

ヤバレジ君は手術に入った。

執刀医、ヤバレジ君。

助手、指導医。

すべては前立ちの指導医にしたがって動く。

しかし、ヤバレジ君は違った。

圧倒的自信。

桁外れの自己肯定感。

ただし、根拠は無い。

外科には絶対的に触れてはいけない領域がある。

が、彼は率先して進んだ。

指導医を無視して、その領域に触れた。

触れてはいけない場所は、触れると分かる。

「おいっ!」

「あっ。」

術中合併症。

執刀医交代。

再建術へ変更。

長い手術時間。

家族は待合室で待っていた。

何も知らずに。

術後、患者が言った。

「先生、いつ退院できますか。」

「普通なら数日で退院できるって聞いたんですが。」

「この合併症、ネット調べても出てこないんですけど。」

かける言葉がなかった。

今後の人生、ずっとこの合併症と付き合わないといけない。

何度も入退院を繰り返すことになる。

また別の日。

病棟からヤバレジ君にコールが入った。

1分1秒を急ぐ状態だった。

ヤバレジ君は検査を出した。

検査結果を確認しなかった。

患者を放置した。

そして、帰宅した。

専門医へのコンサルトもしていなかった。

他の医師への共有もしていなかった。

6時間。

誰も見ていなかった時間ではない。

誰の責任でもない時間でもない。

ただ、使われなかった時間だ。

異変に気が付いたのは看護師だった。

他の医師を通じて専門医へ話が届いたのは、発症後6時間後。

すでに夜だったが、専門医はすぐに動いた。

「緊急手術。」

術中、何度も生死をさまよった。

手術は終わった。

しかし、術後数時間で亡くなった。

時間はあった。

使われなかった。

専門医は言った。

「数時間あれば、救えた。」

よくある言葉だ。

今回はわけが違う。

能力の低い人間は、仕事をさせない。

出来上がるのは医師免許を持った学生だ。

それは差別か、配慮か。

ただ、患者は選べない。

医師免許は能力を保障しない。

人は死ぬが、それでもいいのか。

能力は個人差がある。

結果は個人差を許さない。

それが、医療という世界だ。

配慮は必要だ。

だが、無限ではない。

どこかで線を引かれる。

それを差別と呼ぶかは立場で変わる。

この仕事は、優しさだけでは成立しない。

それだけは確かだ。

社畜医、今日も生存。

患者が生存しているとは、限らない。

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